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新選組副長助勤たくいたの会津紀行 その壱拾九 ~さらば!会津~ [会津]

 6月13日。

 朝の列車に乗り込み、会津若松を後にする。

 当初は、母成峠に行くという案もあったのだが、どうしても猪苗代湖から磐梯山を見たかったので猪苗代駅に向かう。

 駅の近くで自転車を借り、猪苗代湖のサイクリングロードを通って野口英世記念館、そしてフェリーに乗ることに。

 借りたチャリに「会津丸」と名付ける。われながらいい名前だ。

 この日も、午後から雨との予報だったが、新選組副長助勤たくいたを会津の空が濡らすはずがない!

 雲は多いが、いい天気だ!

 しかし湖畔をチャリで走るって快適だ。猪苗代の風は爽やかだぜ!

 クイーンの「バイシクル・レース」を皮切りに、ブームの「風になりたい」、B’zの「裸足の女神」、やしきたかじんの「なめとんか」を熱唱しながらのサイクリング!

 最高さ!

 野口英世記念館をサクッと見学し、フェリー乗り場へ。

 白鳥号でのクルージング!

 やっぱり猪苗代湖から望む磐梯山は美しい。。

 

 磐梯山を見つめながら、俺は誓った。「必ず、会津に帰ってくる!」と。。

 

  さらば!会津。  さらば!磐梯山よ。

TAKAJIN SINGLE COLLECTION

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  • アーティスト: やしきたかじん
  • 出版社/メーカー: ポリスター
  • 発売日: 1998/09/02
  • メディア: CD

 

ちなみに、たかじんさんは、ガンダムの歌も歌ってはります。

ライリー ライリー ライリー リラー♪ 


新選組副長助勤たくいたの会津紀行 壱拾八 ~秀長寺古戦場の碑~ [会津]

 ソネット、調子悪い…。新規作成まで、なかなか辿りつけなかった…。

 

 京都は、13日まで雨らしいです…。雨、降りすぎちゃうか!?

 間はないんかい!?間は!?

 

 そんな新選組副長助勤たくいたのブログへようこそ。

 喜多方で喜多方ラーメンを食べたたくいた。たくさんある店の中で、たくいたが選んだ店は、大安!なんでって!?京都駅ビルのラーメン小路にあるから。

 たくいたは、保守的な男なんです。今度、会津行ったら、違う店行きます!多分…。

 ランチを終え、機関車が走ってるところも見、再び会津若松へ。

 お土産を買いながら、秀長寺古戦場の碑へ。

 暑いし、お土産重いし、大変でした。。

 西若松駅付近なんで西若松駅へとりあえず行ったはいいのですが、方向音痴のたくいたは、大川付近まで行ってしまいました…。相変わらずアホ丸出しやな~。しかし、迷って、人に道を聞くたび、会津の人達が、優しく教えてくれはるので、迷うのも楽しかった!

 実際は、西若松駅の近くです。駅近くの交番で聞こう!(最初からそうすれば良かった…反省!)

 

 秀長寺古戦場の碑。

 如来堂の戦いから脱出した斉藤一さん、池田七三郎さん、久米部正親さん、吉田俊太郎さん、河合鉄五郎さん、志村武蔵さんは、会津藩の佐川官兵衛さんの指揮下に入り、ここで西軍と戦ったといわれる。

 ここで東軍は、わずかな兵力で西軍を破りました。東軍唯一の勝利となったこの戦いで、補給線を確保できたため、鶴ヶ城の篭城戦が可能になったといわれています。

 斉藤さん…。ここで頑張ってはったんや。

 ここに着いた時、そう思って嬉しくなったことを思い出す。そして、またここに帰ってくるぜ!そう心に誓ったたくいたでした。


新選組副長助勤たくいたの会津紀行壱拾七 ~長命寺~ [会津]

 ようやく京都も晴れました。

 空梅雨だ!と騒がれてる頃は、毎日夏日。

 雨降ってくれよ!なんて思っていたら、今度は毎日、雨・雨・雨…

 

 間はないんか!?間は…。ものには何でも限度っちゅうもんがあるやろ!

 

 あまりの湿気の多さに、今朝、自分の歯ブラシ見て、ビックリしました。

 カビ生えてたから…。

 酒飲んだ後に、歯を磨くから、しっかりアルコール消毒できてるはずやのに… 

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 如来堂を見て、そのまま会津若松駅へ向かって、そのまま昼食を喜多方でと思ったんですが、会津若松まで、結構歩きました…。

 観光案内所の地図は、ちょっと距離感がおかしい!

 全部、歩いて周るつもりの方、気をつけてください!(そんなにいないと思うけど)

 喜多方ラーメンを食べてから、会津若松に帰ってきて、「西軍墓地」など目もくれず、長命寺へ。

 この長命寺付近は、かなり激戦地だったらしく、塀には、今でも弾痕が残ってます。

 ここには、戊辰戦争で亡くなられた会津藩士のお墓があります。

 戊辰戦争で戦死した兵士の遺体は、野晒しにされ、雪解けまで放置されたままにされました。それを見かねた長命寺の住職が、145名の亡骸を、密かに埋葬しはったらしいです。

 明治11年 会津藩有志75名によって、墓碑が建立されましたが、「戦死墓」の三文字以外表示されることが許されなかったという…。

 

 酷い話だ。


新選組副長助勤たくいたの会津紀行 壱拾六 ~如来堂~ [会津]

 昨日、屯所の大学一回の女子が、

 「関東・東北の女の子は、お酒強いです!群馬の友達は、本当に強いです!」

 と言った、「群馬の友達」を「ブルマの友達」と聞き違いし、思いっきり引かれてしまった新選組副長助勤たくいたのブログへようこそ!

 ちなみに、軽く想像してしまったのは、言うまでもない…。

 

 最近、天龍八部だ!ミュージックバトンだ!倉木麻衣ちゃんだ!

 と、会津紀行中断しておりました。すみません。

 

 6月12日。会津若松は晴れ。

 この日は、のんびり如来堂へ行って、お昼は喜多方へ行きラーメンでランチ!そして最後、秀長寺古戦場跡へ行く、という計画を立てました。

 駅でもらった会津若松の地図。これを見ると、七日町から如来堂は、結構近そうに書いてあるな~。チョロい!チョロい!

 この日の会津もむしむしして暑いが、前日のネクタイ着用と違い、ポロシャツでの移動なんで、涼しいな~なんて思いながら歩く。

 しかし、歩いても、歩いても、なかなか如来堂へ着かない!どうも、市の中心以外の縮図がむちゃくちゃなようだ…。しまった…。

 田園をひたすら歩いていると、広い道に出た!これなら標識があるからわかるかも!と思って地図をみたら県道何号線か書いてないやん!

 くそ~!

 しかも厄介なことに、尿意をもよおしてきた…(新選組11番隊の法度では、「失禁は切腹」)。やばい!放尿パラダイス京都と違い、会津は、名所に行かないと…。しかも、如来堂は、街外れに位置する。

 二度ほど危機を乗り越え、辿り着いた「如来堂」

 

 ここは、蝦夷に行って戦うことを主張した土方副長と、会津藩に残って徹底抗戦することを主張した斉藤さんと意見が対立し、会津に残ることにした斉藤さんをはじめとする新選組隊士たちが、宿陣した場所です。

 しかし明治元年9月4日、西軍の急襲を受け、新選組隊士たちが戦死しました。生き残ったのは、斉藤さんをはじめ数人とのことです。

 

 ここは、暑い会津若松にあって、時が止まったような、妙にひんやりとしたところでした。あのときもこんなにひんやりしたところだったのかと思うと、何かそのときの急襲が、そんな遠い昔の出来事じゃないような、そんな気がしました。そう思うと、中の境内を撮影するのが忍びなく、入り口だけ撮影させてもらいました。

 今回も写真少な目(一枚)ですみません。

 


新選組副長助勤たくいたの会津紀行 壱拾五 ~旧滝沢本陣~ [会津]

 暑い…。
 頭痛がする…。

 溶けかけてる新選組副長助勤たくいたのブログへようこそ!

 
 白虎隊ゆかりの地を歩き、心は、テンション下がりまくり、身体は、朝から歩き通しで疲れ果て、ようやく、6月11日、最後のスポット、旧滝沢本陣へ。
 この日、昼過ぎに雨が降る!と天気予報でしきりに言っていたが、結局、降らず(やっぱり、日ごろの行いがエエからやろね!)、無事、滝沢本陣です。

 旧滝沢本陣。
 もともとは、江戸時代、会津歴代藩主の江戸への参勤交代や藩祖公を祀る猪苗代・土津神社参拝のときの旅支度を整えるための休息所だったのですが、会津戊辰戦争のときに、大本営となり、西軍を戸の口原で食い止めるため、容保公が、白虎隊に出陣を命じたところです。また、この日に、土方歳三率いる新選組が、容保公、白虎隊を護衛したそうです。

 後に、西軍の屯所となったので、弾痕や刀痕が、たくさん残ってます(ホンマにたくさんあり、びっくりします)。

 この後、七日町の宿まで歩いて帰ったわけですが、このボロボロの身体を癒してくれたのは、馬刺しと末廣でした…。

 馬刺し食いてぇ~!
 


新選組副長助勤たくいたの会津紀行 壱拾四 ~白虎隊記念館~ [会津]

 先日、新選組11番隊伍長森くんが、
 「隊長!隊長のブログにのってた”新選組占い”やったら、僕、沖田総司でした!相性いいのは、山崎さんでした。」
 と言ってました。

 一番、沖田総司と遠い関係の森くんが何故?
 見た感じ、ボーイズ・トゥー・メンのあいつに似てるくせに!斜め後のあの野郎に!!

 プチ殺意が芽生えた新選組副長助勤たくいたのブログへようこそ!

 
 飯盛山に、白虎隊記念館があるので、見学することに!
 考えたら、白虎隊のこと、少年達が自刃したくらいの知識しかないので、ちゃんと見学しなアカンと思ったので。
 中に入ると、たくさんの展示があることに驚きました。

 新選組の展示もあったりして。
 白虎隊の展示のほか、中野竹子率いる「娘子隊(じょうしたい)」の展示、西軍の資料なんかも展示されていました。
 会津藩は、西軍の侵攻に備えて、急いで軍の再編成を行う。
 年齢別に、白虎 15歳から17歳、朱雀 18歳から35歳、青龍 36歳から49歳、玄武 50歳以上に分けられ、更に、身分により士中組、寄合組、足軽組に分かれるらしい。飯盛山で自刃したのは、白虎隊二番士中組で、一番士中組は、容保公の護衛をしたらしいです。

 二階のアニメは、白虎隊の悲劇への軌跡が、とても分かりやすかったです。

 ここで見学した後、近くのお土産屋さんで、白虎隊グッズが売られていたんですが、とても買う気になれませんでした…。

 っていうか、商品にすんなよ!


新選組副長助勤たくいたの会津紀行 壱拾参 ~戸の口堰~ [会津]

 昨日、11番隊士スギムラが屯所にひょっこり現れて、
 「ワールドカップ予選の券、応募して!」
 と、11番隊伍長森くんと二人で行く券の応募を頼みに来ました。。。

 俺、行かへんのに、なんで俺が!?

 そう思ったんですが、訳を聞くと、携帯のアドレスがいるらしい(ホンマかい!?)
 そして、森くんの携帯は、メール機能がなく(今どき…)、スギムラは、現在、携帯持っていない…(注・以前持っていたんですが、我々が、仕事中にメールを送ってくる!と怒って、解約したのだ。自分は、仕事中に電話かけてくるくせに!スギムラ的には、電話はOKやけど、メールはアカンらしい…。暇なときにメールは読めるというのが、利点のはずやのに…)

 仕方ないから、承知しました。「なんでやねん!?」と思いながら。

 そんな新選組11番隊組長たくいたのブログへようこそ!

 この飯盛山には、会津盆地の灌漑用水路として飯盛山を掘り抜いて作られた戸の口堰洞穴があります。
 戊辰戦争時に戸ノ口原合戦で破れた白虎隊が追っ手から逃れる秘密の抜け穴としてこの水路を利用したといわれています。
 
 ほんまにつながってるんかな~!?と思うくらい穴が小さいんです。
 僕は、あんまり泳ぐのが得手でないんで、溺れるな~、なんて思いながら、白虎隊に思いを馳せました。

 
 


新選組副長助勤たくいたの会津紀行 壱拾弐 ~飯盛山へ~ [会津]

 今日は、久々の遅番。
 しかし、金欠なんで、おとなしくしてます(みちのくにお金落としすぎました…)。
 しかし、暑い~。京都は。34℃が続いております。

 ただでも盆地で、蒸し暑いのに…。そら、新選組の隊士、隊服着いひんわ。

 今、会津へ行ったときにもらった栞を見ながら、書いてるんですが、
 「新選組とともに戦いにやぶれ、傷付き疲れ果て逃げて来た飯盛山より城下を見下ろすと、火の海となったのを落城と思い込み、若い命を散らしていった白虎隊士たちの自刃の地です。」と…。

 その白虎隊の悲劇の舞台となった飯盛山を目指して歩きました。
 一応、会津武家屋敷くらいから旧滝沢本陣までの道には、「いにしえ夢街道」と名づけてあるんですが、墓参りをした後なんで、「夢」は、見れませんでした。
 正直、このころ足が疲れる。

 白虎隊士が、自刃した地やお墓もあったんですが、写真撮れないです。悲しくて。。
 炎上した鶴ヶ城(と思い込んだ)を見たという場所から、鶴ヶ城を望む。
 当時は、もっと草木がうっそうとしていて、見えにくかったらしいんですが…。
 この白虎隊士たちが自刃した日、土方さんは、仙台を目指すべく、会津若松を離れました。

 あんまり写真ないので、「さざえ堂」で我慢してください。
 六角三層、商工別々のらせん系通路で、階段がなく一方通行で上下するっていう不思議な建物です。

 いや~面白かった。


新選組副長助勤たくいたの会津紀行11 ~天寧寺~ [会津]

 今日は、瓢箪山へ行けるのか 行けないのか…。
 未だ屯所からの連絡はありません。
 炒飯でも作ってこっかな。
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 会津藩主松平家墓所は、山の中にあるので、もうカッターシャツが、汗でびしょびしょ!前日の雨の為か、ズボンもドロドロ!
 こんな格好で、新選組局長の御墓参りしてもいいのか!?と思うですが、仕方ありません。
 一応、正装ですから。

 しかし、この天寧寺も、ちょっとした丘じゃないですか…。

 富山から来たという観光客の一団に混じって、近藤局長の墓前へ。
 しかし、この中の暑さで、肌着一枚のおっさんが、
 「近藤勇って、結局、何にもしてないやろ?」
 と、仲間のおっさんにのたまっておりました…。

 アホが…。肌着で御墓参りする姿に、大概ムカついていたのに、墓前で何抜かしとんねん!
 ガイドの女も、近藤局長の御墓の前で、説明するどころか、「近藤局長の御墓のこと、教えて。」と、御墓参りしていた地元の人に聞いてる始末。

 富山に帰れ!田舎モン。 全く失礼千万な奴らだ!

 それは、土足で他人さんの家にあがって、「あんた誰?」って聞いてるようなもんやろ!?

 全く腹の立つ一行だったが、御墓参り!

 行って驚いたのですが、隣には、土方副長の御墓も!

 二人、容保様の近くで、仲良く隣同士で…。
 なんかうれしくなってきました。

 絆っていうか、友情っていうか。目頭が熱くなってきました!

 新選組のこと好きな方、近藤局長、土方副長を愛している方だけに御墓参りしてもらいたい!
 意味も分からんのに、ツアーに御墓を組み込むなよ。神聖な場所やからね。


新選組副長助勤たくいたの会津紀行Ⅹ ~会津藩主松平家墓所~ [会津]

 昨日は、南かなこさんのイベントは、燃えました。
 熟睡しました。
 明日から、いよいよお仕事再開です!
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 会津武家屋敷を見終わると、もう1時過ぎ。
 朝から8時半から歩き詰めなんで、少し歩き疲れたし、腹も減った。歩くのも疲れたが、今日は、お墓参りが多いので、ネクタイ着用なんで、しんどい…。会津若松も盆地なんで、蒸し暑いね!ここは、ホンマに東北なのか!?
 会津といえば、なんとなく喜多方ラーメン! 暑いのに、暑いモン食べてました…。
 腹ごしらえして、次の目的地、会津藩主松平家墓所へ。
 正直、ここへ来るために、ネクタイしめてるので、我慢! 我慢!


 ここから松平家墓所!
 お墓は、写真撮らないんで、撮影はここまで!
 しかし、ここからが大変!
 前日の雨で、石段の苔が、ツルツル滑って、とても危険!何度かこけそうになる。

 女性の方! スニーカー履いて来て下さい。
 滑ります!こけます!危険です!

 あんまり危ないんで、石段を外して、土のところを歩く。

 カッターの襟も、汗でびちょびちょ!(関東では、ワイシャツだったね)

 四苦八苦しながら、いよいよ二代正経様の御墓に到着。
 合掌して、ご冥福をお祈りしました。

 更に、山を登っていくと、地元のお年寄りの団体に遭遇。
 「どこから来られたの?ネクタイしめて、えらいね~」
 「京都です。」
 「ええっ!京都から!?」
 と驚くおばあさん。横にいたおじいさんが、「そしたら、これあげるわ。」と、「院内御廟」と書かれたパンフレットをいただきました。

 その後、僕は、御墓を一つ一つお参りしたので、お年寄りの団体と別行動になりましたが、そして最後に容保公の御墓参り。

 合掌

 そこの君!御墓で、願い事はアカンよ!

 帰り、御墓参りに来られた女性たちに、「石段は、滑るので、気をつけてくださいね!」と、アドバイスしながら下山しました。
 


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