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幕末スポット紹介のブログなのに、福原京その3 薬仙寺 [播州]

 「台風いっか」を「台風一家」と思ってました…。「台風一過」なんですね。

 たくいたです。

 

 この神戸行ったときも、扇子が必要なくらい暑かったですが、台風が過ぎた後も、暑いですね。

 そう!神戸。関西で、一番、おされな街「神戸」。この神戸に、都があったんですね。北野や南京町を歩いていても、なかなか実感できませんが、平家ゆかりの地を歩くと、ちょっとは実感できる。

 NHK大河ドラマ「義経」も、壇ノ浦が終ったとこなんで、今行ったら、もっと感慨深いかもしれん。

 よ~し!次の休みも神戸だ!!

 

 薬仙寺。

 天平十八年(746)に行基(ぎょうき)菩薩が開基(かいき)したと伝えられます。薬仙寺の名の由来は、後醍醐天皇が、福厳寺にいはった時に、激しい頭痛になり、この薬仙寺の霊水を飲むと、頭痛が治ったという出来事からついたと言われてます。

 よかった!後醍醐天皇にネーミングのセンスがあって。

 僕が、天皇なら、「治ったよ寺」「有難う寺」「効いたよ寺」になるところでした…。

 こんな由来が知りたくて、ここに来たんじゃない!

 ここはある萱(かや)の御所跡は、福原遷都の際、後白河法皇を幽閉した跡で、牢の御所とも呼ばれています。もとは寺の北にありましたが、昭和二十八年の運河拡張工事の際、水中に没したため現在地に移したらしいです。

 後白河法皇…。幽閉じゃなくって、毒殺したらよかってん!このオッサンがいなけりゃ、義経の人生、あそこまで振り回されることはなかっただろうに…。

 たしか清盛と後白河法皇って、実の親子やったような…。違ってたらスミマセン。それで、殺さなかったのかな~と思ったもんで。

 

 

 


幕末スポット紹介のブログなのに、福原京その2 能福寺 [播州]

 天山童姥ーっ!!

 ドラマ「天龍八部」で、予期せぬ最期をとげた天山童姥を、未だに忘れられぬ新選組副長助勤たくいたのブログへようこそ!

 

 今日から、ラジオ大阪「ほんまもん!原田年晴です」の水曜のアシスタント、慶元まさ美さんが、今週と来週の月・火・金と、アルファ・ステーション(FM京都)の「サニーサイド・バルコニー」という番組で、代打でDJされます!

 水曜は、いつもの通り、「ほんまもん!」ですから、応援ヨロシク!です。

 うちの新選組隊士 イチゴ大好きよっちゃんにも、慶元さんから、何かを学んで欲しいと願う今日この頃です。とにかく、AMでもFMでも通用する話術は、流石です。

 と、久々のラジオネタ終了!

 

 能福寺

 養和元(1181)年に清盛が京都で没したおり、当時の住職・円実法眼が清盛の遺言にのっとって遺骨を首にかけ経ヶ島に持ち帰って法華堂に納めたと伝えられている。しかし遺骨の行方には諸説があり、所在地は確定されてはいない。

 この神戸を歩いていると、このエリアでですが、「平家」が愛されているのを感じる。例えば、小学校の壁に平清盛公が描かれていたり、橋に「清盛」と名づけられていたり。

清盛公が描かれた小学校            清盛橋     

清盛公が、夢をみた海は、今ではこんな感じです。

   

兵庫運河。               

 

 

 


幕末スポット紹介のブログなのに、福原京その1 [播州]

 今朝、犬の分身を踏んでしまい、凹み気味の新選組副長助勤たくいたのブログへようこそ。

 昨日は、「鬼平犯科帳」。今日は、「義経」「天龍八部」と、なにかと忙しいです。「義経」は、DVDで録画して、後で見るつもりですが…。

 いよいよ「壇ノ浦の戦い」ですね!

 うちの11番組には、平家ファンがかなり多いので、大きい声では言えませんが、僕は、源氏ファンです。

 今、京都の源平ゆかりの地では、「源平ピンズ」というのがあるんですが(当然、義経や弁慶、静御前に那須与一。はずれは源頼朝で…)、もっと佐藤兄弟や駿河次郎に伊勢三郎なんかも出して欲しいです。

 神戸にきても、源平ピンズ、見かけませんでした…。清盛、重盛、知盛、宗盛、敦盛…

 前にも書いたのですが、平家スポットに辿り着くまで、大変でした…。道に迷って…。しかも、盛り上がりにも欠けてるみたいで…。

 地下鉄「中央市場前」で下車すぐですので、土地勘のないかたは、こちらを利用してください!

 最初に訪れたのは、清盛塚十三重塔、琵琶塚、平清盛像です!

 清盛塚十三重石塔は、清盛の遺骨が納められているといわれてましたが、大正時代の調査で墳墓ではないことが明らかになりました。

 琵琶塚は、平経正の琵琶を埋めたと伝えられる古墳があったことを示すものらしいです。

 


西本願寺屯所 北集会所Ⅱ ~姫路・亀山本徳寺~ [播州]


去年の台風の影響で破損したらしく、ブルーシートが痛々しい…。

 今日は、久しぶりに食欲がなく、体調も悪いのに、レジの修理で、修理に来たおじさんに久しぶりにぶち切れた新選組副長助勤たくいたのブログへようこそ!

 悪いときには悪いこと重なるもんです。
 
 
 それでは西本願寺屯所でのことを語ろうか。
 ここでのことを、軍医の松本良順先生が、こう語っています。
 隊士の数は、おおよそ170~180名。刀剣を磨くもの、鎖帷子を綴るものがいて、勇壮激烈の状はなはだ壮快と。
 そら、鍛えてますから!
 
 しかしこうも語ってはります。
 横臥するもの、裸体で陰部を露出したものなど、無礼で不体裁な者がゴロゴロしている。局長、副長が現れても挨拶もしない。注意すると、近藤局長が答えて言うには、「これみな病人」とのこと。当時、三分の一が病人という計算になるらしい。
 実は、病弱なんです…。池田屋騒動の際でも、新選組局内に、「男色」が流行り、病人が多かったため、出動できたのは40人弱でしたから…。ということは、池田屋騒動で頑張った人達は、元気だった人達で、行けてない隊士も沢山いたということです…。

 そこで良順先生は、病室を別に設けて、専属の医者や看護者を置き、入浴させよ!とアドバイスすると、土方副長が本願寺の集会所を借り、病室を作り、病人を並列蓐臥させ、湯桶三個を設けて、浴場すでに整頓させるという状態をつくりあげたという。良順が、その早さに驚くと、「兵は拙速を尊ぶ」とはこのことだと笑ったらしいです。

 そして良順先生の往診の甲斐もあって、病人の数は激減したそうです。

 また残飯で豚や鶏を飼うことも、良順先生が推奨し、新選組隊士達は、いわゆる「牡丹鍋」で、精をつけたそうです!またそうして、近代の兵営というものを新選組に教えたらしいです。

 さすが良順先生!

 後に、良順先生は、板橋の新選組局長近藤勇の石碑を立てるために、永倉新八さんと奔走したそうです。

 境内で、「牡丹鍋」を食べたということは、こういうことなので、西本願寺のお坊さん達、ごめりんこ!

 ついでに、隊士達の調練を見守る新選組副長助勤たくいた


西本願寺屯所 北集会所Ⅰ ~姫路・亀山本徳寺~ [播州]

 最近、あんまりいいことなく(むしろ、悪いことばっか)、今日は、極めつけに悪かった…。
 命があっただけヨシとするか…。

 そんな新選組副長助勤たくいたのブログへようこそ…

 そういや、去年も始まりは、車に踏まれたり、う○こついた紙おむつが飛んできたり、脇差くらいある包丁飛んできたり、変なこと多かったな…。これから、反動でいい事起るんかも!

 今日は、新選組の西本願寺屯所に焦点をあてているんですが、当時、新選組が使っていたのは、副長助勤以上の幹部が寝泊りしたといわれる「太鼓楼」、そして伍長以下の隊士達が宿泊したといわれる「北集会所」。しかし、この「北集会所」は、現在、西本願寺にはありません。
 「北集会所」は、現在、兵庫県姫路市にあります。JR「姫路駅」で山陽電鉄に乗り換え、「亀山駅」を降りてすぐです。車窓から見て、「あ!あれが亀山本徳寺や!!」ってわかります。

 壁がまず綺麗。京都のお寺とは違うんです。

 独特の形の太鼓楼

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