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渉成園  街道を行く [京都駅周辺]

 節分の日。

 寒風吹きすさぶ京の街を、新選組11番組は、見廻りをしておりました…。

 新選組副長助勤たくいたのブログへようこそ。

 

 いつも、だらしのない隊士を引き連れるので、土方副長のように、厳しい姿勢で見廻りに行くのだが、一番年配の隊士(推定58歳)に、「隊長のキャラは、原田左之助でしょう!」と云われ、朝からテンション下がったぜ…。

 

 向かった先は、平安時代、源融が、奥州・塩釜の景色をイメージして庭園を造ったという「渉成園」

 ただし、江戸時代、石川丈山が造っているんで、源融の名残はないです。

 しかも、「禁門の変」でも、燃えてるらしいです…。

 

  ”長州のボケ~!”

 

 しかし、ここの庭園は、すばらしい!

 まさか京都駅のすぐ近くに、こんな広大な庭園があったとは…。

 京都恐るべし…。

 東本願寺の横らへんにある「渉成園」。

 入ったら、すぐ受付してください。一応、入場無料なんです(太っ腹!)。

 でも、寄付をするところがあるんで、寄付してください。勿論、僕もしました。本当は、ポケットに入ってたんで、30万くらい寄付しようとしたんですが、隊士達に止められ、100円、寄付しました。

 正直言うと、500円寄付しようと思ったんですが、100円玉とお札しかなかったんで、100円にしました。アハハ

 明治天皇も、ここに来られたそうです。

 池を見てると、軽功を使って、優雅に飛びたくなりました

 伍長森くんがシャッターチャンスを逃した為、岸に着地したところしか写真が残ってませんでした…。森くんのバカ~!

 回棹廊です。こういう橋を見ると、ついつい阿朱のことを思い出してしまいます…(泣)

 臨池亭(りんちてい)。

 昔、多くの貴族が、ここでリンチされたそうです(ウソ)

 多分、ここは、四季それぞれの顔があると思うんで、また春、桜の頃にでも訪れようかと思ってます。

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天満屋騒動 [京都駅周辺]

 嗚呼、今日は、なんか、ぼ~っと家におりました新選組副長助勤たくいたのブログへようこそ!

 久々に、スカパーのチャンネルNECOで、「射鵰英雄伝」の再放送観たら、郭靖の師匠を殺した犯人が分かる回も、楊康が死ぬ回も終っておりました…。

 

 今日は、新選組スポット!

 久々です。あまりの久々過ぎて、このサイトが何のサイトか忘れてしまいそうになりますが、新選組のスポットを紹介するサイトなんです!ほんとは。

 いうても、京都のスポットは、大分攻略しましたが…。

 慶応三年(1867)、11月15日に、近江屋で、坂本龍馬と中岡慎太郎が暗殺されますが、その犯人は、当時、新選組と思われてました。

 坂本の同士 陸奥宗光らも、犯人は、「新選組」で、黒幕は、紀州の三浦休太郎と考え、十二月七日、三浦と新選組隊士が宴会をしていた天満屋を襲撃しました(しっかり犯人て分かってから、来いっ!)

 三浦休太郎殿は、軽傷でしたが、襲撃側の中井庄五郎(十津川郷士)と、新選組の宮川信吉、船津釜太郎が命を落としました…。

 場所は、西本願寺の前の道を渡って、門みたいなところをくぐって左です。石碑が立ってます。(すごい説明のしかたですみません…)


リーガロイヤルホテル京都 ~不動堂村屯所跡~ [京都駅周辺]

 

 「天龍八部」の天山童姥役でお馴染みの舒暢の映像を眺めておりました。

 新選組副長助勤たくいたのブログへようこそ。

 もうとっくに紹介したと思っていた「不動堂村屯所」、まだ紹介してなかったですね。考えたら、二条城も紹介してないし、伏見のスポットも全然紹介してないことに、さっき気がつきました…。アカンやん!

 

 不動堂村屯所跡。

 正確な場所は、わからないのですが、京都駅の近くにある「リーガロイヤルホテル京都」らへんにあったといわれているのが、不動堂村屯所。

 慶応三年(1867)六月十五日。新選組は、西本願寺からこの不動堂村に屯所を移転する。移転には、吉村貫一郎と山崎烝が、西本願寺と交渉にあたり、西本願寺内の興正寺から金200両の立ちのき料。西本願寺は、移転費と建物の諸経費を払うということで合意したという。

 西本願寺が、新選組にどうしても出て行ってもらいたい為に、こんな好条件を提示したという。

 土方副長の西本願寺への嫌がらせが、功を奏したというわけです!ムフフ

 この不動堂村屯所は、敷地一万平方メートルで、表門、高塀、玄関、長屋、使者の間、近藤局長・土方副長ら幹部の部屋、平隊士の部屋、客間、物見、中間と小者の部屋。大風呂には、一度に三十名が入れたという大名屋敷と遜色ない構えだったという。

 この建物は、西本願寺南集会所で、団体参拝者のための宿泊施設だったといわれています。

 今は、京都の旅行者の宿泊施設になってます。

 十二月十四日、伏見奉行所へ引き払うまでの半年間、屯所として使われたそうです。

 リーガロイヤルホテル京都が新選組の不動堂村屯所跡。

 京都ホテル・オークラは、長州藩邸跡。

 

 やっぱりリーガロイヤルホテル京都は、ええな~。


西本願寺屯所Ⅱ ~新選組の思い出の日々~ [京都駅周辺]

 今日は、屯所の軒先にあった燕の巣が、何者かに落とされたようで、朝からブルーな新選組副長助勤たくいたのブログへようこそ。

 西本願寺。
 幕末の頃の門主 本願寺第二十世広如(こうにょ)は、勤王僧で知られた人で、やっぱり勤王の志士に好意的だったようです。

 西本願寺屯所での新選組は、日々調練していた。ある日、門主が剃髪しようとしたら、大砲を強薬で打ったので、門主が驚いて後にひっくり返った。それから、新選組が調練する時は、前日に知らせて欲しいと申し入れたのですが、門主が本堂へ参ることを聞きつけては、調練を行ったという。

 すごい嫌がらせですが、指図していたのは土方副長らしい…。これは、不動堂村屯所を作らせるための作戦だったらしい…。

 また門前に「本陣」と書いた大札を掲げて門徒を威嚇したり、空砲訓練で、ちょっとお寺を壊してみたり、境内で、牡丹鍋を食べてみたりと、いろいろやったみたいです。あはは。

 たちの悪い嫌がらせがあったのは事実ですが、反論すると、牡丹鍋は、次回詳しく書きますが、松本良順先生の提案なんです。新選組は、身体が資本ですから!

 空砲訓練。させてくれよ!
 天皇陛下をお守りするためには、必要なんです!
 御公儀の為です。

 新選組は、主に、前回書いた「太鼓楼」と「北集会所」を使ったんですが、北集会所は、現在、兵庫県姫路市にある「亀山本徳寺」にあります。

 最後まで、新選組隊士として戦い抜き、箱館で、一人抜刀したまま恭順した島田魁さん。彼は、晩年、この西本願寺の守衛を務めます。最期まで土方副長の戒名を携帯していたそうです。
 斉藤さんもカッコいい生き様やったけど、島田さんの生き様もカッコエエな~!

 


西本願寺屯所Ⅰ ~太鼓楼~ [京都駅周辺]

いよいよ西本願寺です。
 新選組も「池田屋騒動」以降、隊士が増加し、壬生屯所が手狭になってきました。
 そこで目をつけたのが、「西本願寺」です。

 当時、西本願寺は、勤王の志士ら寄りと言われていたので、西本願寺の動向を監視するという狙いがあったといわれています。

 考えたら、壬生から近いし、引越し楽やし、境内広いし、政治的にそんな感じなら、まず「西本願寺」の名前が挙がるのは必定!

 以前、うちのブログで書いた「翠紅館」(カテゴリ「東山」をクリックして下さい。サクッと書いてるんで)。あの浪士組が上洛する一年前、東山の翠紅館に、桂小五郎や久坂玄瑞ら勤王の志士らが集まって会議した「翠紅館会議」で有名な翠紅館。あそこは、西本願寺の別邸なんを考えれば、西本願寺と志士らのつながり相当深いと見るのは当然やね。

 しかし、この屯所の「西本願寺移転」に、卑劣で見苦しい!と、強く反対したのは、僕の尊敬する山南敬介さんでした。山南さんは、その後、脱走して大津で沖田さんに捕まり、前川邸にて自刃します(なんで死んだんですか!?山南さんが生きていれば、新選組は、もっと違う局面を迎えたかもしれないのに…)。山南さんのお墓が、今、無念墓なのを思うと、余計に悲しい。

 計画反対派の山南さんの死で、あっさり西本願寺に屯所が移転されます。

 時は、慶応元年三月十日のことでした。

 写真の太鼓楼は、新選組の副長助勤以上の幹部が寝泊りしていたそうです(そうか、そしたら僕の寝床もここやね)。


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