So-net無料ブログ作成
検索選択

平安神宮 ~京都守護職屋敷門(移築)を訪ねて三千里~ [岡崎]

 昨日は、京都に雨が降り、花粉症新選組副長助勤たくいたは、久しぶりに熟睡できました。
 雨が、これだけ恋しくなるのは、この時期だけでしょう。

 4月6日、京都御所に行ってまいります(新選組11番隊隊士諸君、出欠は僕のメールか公式ウェブの窓口まで。ちなみに集合は、朝8:30)。この場を借りて、業務連絡させていただきました。

 今日の幕末スポットは、「平安神宮」!
 といっても、平安神宮は、幕末とは全く関係ありませんが…。
 幕末に平安神宮ありませんでしたから…。あの有名な朱色の巨大な鳥居も、昭和に入ってからできたものですから。
 ちなみに、私たくいたは、ここで七五三しました。
 ちなみに、私たくいたの十三参りは、乃木神社(京都)でした。


 この平安神宮の武道場の正面、駐車場のあるところに、京都守護職屋敷門が、なにげなく建っています。勿論、移築されたものですが、何気に駐車場の前にある門が、こんな由緒正しい門というところに京都の凄さを感じる。それも、なんの説明書きも無いんです!

 でも、これは、守護職屋敷の門を何気に使ってるからすごいのか、薩長の連中が、会津が使っていた門やから、駐車場の門くらいにしてやれ!という悪意からそういう用途で使われているのかわかりませんが、興味のある方は、平安神宮を訪れたついでに、是非、門を見て、幕末に思いを馳せてみてください。

 この門の写真だけじゃ寂しいので、平安神宮の写真もアップします!

 平安神宮は、狛犬じゃなく、蒼龍と白虎なんです!かっこええ!


金戒光明寺 ~会津藩松平肥後守 京都守護職本陣~ [岡崎]


 毎日毎日、花粉症で辛い~と綴っているような気がする。
 今日も、勿論辛い。

 桜、今日、京都も開花したそうです。
 来週、京都御所行ってきます。

 そんな新選組副長助勤たくいたのブログへようこそ!

 久しぶりぶりの京都です。大坂から京都に帰ってきました!そして今日は、金戒光明寺!京都の人からは、「黒谷さん」と呼ばれ親しまれています。
 NHK大河ドラマ「新選組!」のファンなら、一度は訪れてみたい名刹ですね。京都府在住の僕も、先日始めて訪れ、イタイ写真とりまくってしまいました…。

 金戒光明寺。
 1172年、法然上人が、比叡山黒谷からこの地に移り、念仏道場を開いたのがおこりらしいです。
現在、大河ドラマ「義経」にはまってる方も、ここは、義経スポットです。
 一の谷の合戦で自分の息子とおないの16歳だった平 敦盛を討って、世の無常を感じた熊谷直実が、上人の弟子になりここで出家したそうです。出家の為に着ていた鎧をかけたという「鎧かけの松」があります。
ということは、松平容保公もこの松を見てたってことか~。この松を通じて「義経」と「新選組」がつながってるってことか~。不思議な感じがする。

 新選組に戻ると、ここ金戒光明寺は、文久二年(1862)十二月二十四日、京都守護職になった松平容保公が、家臣千人を率いて、京都三条大橋に到着。京都所司代、京都町奉行所の出迎えを受け、金戒光明寺に到着しました。会津公の威風堂々たる行軍に、京の町衆が人垣をつくって大歓迎したそうです。
 ここには、一年交代で、千人詰めていたらしいです。
 城構えで、御所(一番大事!)と三条大橋(交通の要衝)に近く、千人の宿泊が可能だったため、ここを本陣に選んだそうです。

 新選組も近藤局長をはじめ、よく出入りしていたそうです(会津藩御預かりですから!)。

 当時、京都守護職の本陣だったのに、境内の参拝は自由だったらしい…。なんというアットホームな京都守護職!容保公の器の大きさを感じるぜ!!

 また敷地内には、文久二年から慶応三年までに亡くなられた方と鳥羽・伏見の戦いでお亡くなりになった方が眠る「会津藩殉難者墓地」があります。
 中には、会津小鉄の墓もあります。
 会津小鉄は、新選組の密偵となって活躍した侠客でした。鳥羽・伏見の戦いで路上に放置された戦死した方たちを、子分200名率いて、迫害をも恐れず収容し近くの寺院で荼毘に付し、回向供養されたそうです。その後も、黒谷会津墓地を住職とともに死守し、清掃整備の奉仕を続けたそうです。
 この説明を読んだときは、三門忠司さんの「木津の勘助」を思い出しました。

 新選組11番隊の伍長森くんが、若かった時、会津小鉄の流れをくむ人達に脅されたらしい…。これは余談。


「新選組!」のオープニングっぽく写真撮ってしまいました…。


この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。

×

この広告は1年以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。