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山南忌! [壬生]

 先ほど、貴重な情報をいただきました。

 新選組副長助勤たくいたのブログへようこそ!

 最近、武侠の記事ばかりで、なんのブログか、忘れ去られているかもしれませんが、「新選組」のブログです。次は、「剣豪の足跡」を辿っていくつもりですが…。

 Akiさんのブログで貴重な情報をいただきました。

 来年3月11日に、京都・壬生で「山南忌」(さんなんき)と読むらしいが、開催されるとのこと!

 山南さんのお墓は、前にも書いたとおり「無念墓」で、成仏しておられないと思うので、来年は、しっかりお参りに行こうと思います。

 詳しい情報は、また随時報告していきたいと思います!

 


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京都の休日 1 [壬生]

 今日は、待ちに待った新選組副長助勤たくいたの休日!

 しかし、どこで遊ぶか、決めてない…。

 

 伍長森くんと、とりあえず京都・伏見の「とりせい本店」で、一杯やりながら、予定をたてることに。

 しかし、「とりせい本店」は、月曜日、定休でした…。残念!

 伍長森くんが、大手筋のはずれに、美味い蕎麦屋がある!と云うので、ついて行くことに。

 不味かったら、斬る!

 殺意満々で、ついて行ったんです!

 しかし、美味かった!城崎直送のカニが入ったソバ!おかげで、昼から、二合も飲んだよ~♪

 なんで、昼間に飲む酒って、美味いんやろ~!なんで、昼間に飲むと、気持ちよく酔えるんやろ~♪昼間から、二合飲んだら、テンションも上がるぜ!

 しかし、我々は、やっぱり新選組だ!行き先に困ったときは、やっぱり壬生だ!

 京都駅から、油小路の変のあった交差点を通り、西本願寺を通り、壬生へ。

 途中、酒を入れるための新選組のペットボトル入れを購入!

 本当は、武侠並に、甕を持って、巡回したかったんですが、甕で酒って、売ってないんよね~。でも、これがあれば、ペットボトルサイズのお酒のビンなら、持ち運び可能!なんて素晴らしい一品なんだ!!

 その後、壬生寺にて、芹沢派の芹沢鴨局長や平山さん、河合さんのお墓参りをし、光縁寺で、山南敬助総長や松原さんたちのお墓参りをしておりました。

 山南さんの墓石は、墓石が、ポロポロ崩れる無念墓。この世に無念があるから無念墓になる、とのことなので、しっかり冥福をお祈りしました。

 帰り、壬生屯所横の「京屋忠兵衛」さんところで、ドクロT-シャツと、「局中法度」を購入!

 このドクロは、「邪気退散」の意味があり、近藤局長の剣術の練習着に縫い付けられたものがモデルなんです!カッコいい~!

 店の主人が、これらの土産を入れるのに、「近藤局長」と「土方副長」の写真が入ったビニール袋に入れてくれはったのが、またカッコいい!!

 森くんも、慶応三年の「洛中地図」を購入!そして、「隊長!今から、祇園で、我々新選組の威風堂々たる姿を見せつけましょう!」との提案を快諾し、祇園へ。

 歩きつかれたところに、今日は、たまたま「都路里」に行列ができてなかったので、入店!普段、祇園の「都路里」は、行列ができてて、無視してたのでラッキーでした。ま!行列に並んで食べるほどのもんではないけど、名店に恥じないお味でした。感服した!

 しかし、京の都には、どんな有名人が歩いているかわからんもんです!

 どこやらのお見せに、デビルマンが、予約入れてました。

 デビルマンって、実際にいるんや…?

 その横の男祭って…。

 

 五時から、伏見の酒造メーカー「黄桜」が経営する店で、夕食~♪

 黄桜の経営する店なんで、当然、酒飲んでました~♪

 飯も美味いし、酒も美味い! 好酒!!

 また一つ、美味い店が増えてしまった~幸せ~♪

 

 明後日は、大坂巡回だ!

 

 

 


六角獄舎 [壬生]

 新選組11番隊の隊士からは、「隊長のキャラは、十番隊長の原田さんか、土佐の坂本龍馬ですよね!いい加減やから。」
 と言われて、いつも凹んでいる新選組副長助勤たくいたのブログへようこそ!
 いい加減にならないように、最近、勉強始めました。。。

 二条城と壬生屯所の間にあるのが、六角獄舎です。
 勿論、今は、残ってません。普通にマンション建ってます。
 太閤秀吉が、作ったころは、そうとう大きな獄舎だったみたいですが、江戸時代に入ると、その半分になったらしいです。
 幕末には、多くの志士が投獄されました。
 新選組が捕らえて、攘夷派のクーデターを白状した古高俊太郎も、土方さんの鬼のような拷問の後、ここに投獄されました。
 この獄舎には、古高以外に、志士の大物、平野國臣や、天誅組の乾嗣竜や長尾武雄なども収監されてました。
 古高は、新選組の我らの間では、有名ですが、平野國臣は、西郷隆盛の命を救った大物で、天誅組が、挙兵した時に、説得に行くも失敗し、生野で挙兵し(生野の変)、幕府に捕らえられ、ここに投獄されました。
 元治元年(1864)七月、禁門の変で、京の都が、大火に襲われました。そこで、当時の町奉行 滝川播磨守具和は、「大火が、堀川に及ぶことがあれば、重罪人を全て斬り捨てよ!」と命じ、実際、投獄されていた囚人は、槍で突かれて、全員、殺されたらしいです。。

 古高俊太郎が、土方さんに拷問されて、池田屋騒動に発展したのは、知ってましたが、古高が、こういう結末を向かえていたことは、全く知らなくて、驚愕しました。
 気のせいか、六角獄舎のあったところが、薄暗いような気がして、できれば、あまり立ち寄りたくないです。
 考えたら、当時の京都は、血で血を洗う攻防を繰り広げられていたんだな~と実感します。志士たちは、志士同士のイニシアティブ争いで同士討ちをし、幕臣を、血祭りにあげ、新選組は、隊規で内部粛清をし、志士を取り締まる・・・。想像を絶する争いを繰り広げていたんだな!と思うと同時に、新選組くらい、気合入れて取り締まらないと、京の治安維持なんて不可能だと思いました。。

 ここは、山脇東洋が、人体解剖をした日本で最初の場所らしいです。 


光縁寺 [壬生]

 幕末スポットを、実際に歩いてみると、距離感が、想像より近かったり、遠かったり、歩くたびに、いろんなことが分かります。一番、分かるのは、幕末の人達は、みんな健脚だ!ということです。
NHK大河ドラマ新選組!」の話で、寺田屋で、近藤局長が、深雪太夫を見受けするときに、妻のおつねと沖田総司の姉ミツが、偶然にも会ってしまって一騒動!というものがあったのですが、おつねさんとミツさんが、壬生の屯所に着いたとき、近藤局長が不在で、伏見の寺田屋にいると知ったミツさんが言った、「ここから、伏見は近いんでしょ!?」の一言で、実際に、僕も寺田屋から西本願寺まで歩いたことあります。1時間30分かけて・・・。だまされました!実際は、近くないです。あれは、僕の推測ですが、昔の地図は、洛中と洛外では、縮図の比率が違うんです。近くに見えても、実際は、遠い・・・。

 光縁寺。
 浄土宗のお寺で、知恩院の末寺ということです。創建は、慶弔十八年(1613)ごろで、本堂や山門は、天明の大火で焼失し文政二年(1819)に本堂、弘化三年(1846)に山門が再建され、現在に至るらしいです。
 
 この光縁寺の近くに、新選組の馬小屋があり、毎日、隊士達が、寺の前を通ってました。あるとき、山南敬助副長が、山門を見上げると、瓦に「丸に右離れ三つ葉立ち葵」の家紋がありました。この家紋は、山南副長の家紋と同じで、山南副長と、当時の住職、二十二世 良誉上人(りょうよしょうにん)と年齢も同じだったことから親交が生まれました。
 当時、光縁寺の門前には、お金が無くて、葬式も出せない人達が、死体をムシロに巻いて放置いていかはったのを、良誉上人が、弔ってあげていたそうです。(すごいいい人だ!)
 山南副長の紹介で、屯所で切腹した隊士が、この良誉上人に弔われ、埋葬されることになりました。その山南副長が、実は、三人目になるのですが・・・。それ以後も、数多くの隊士達が、弔われ埋葬されました。
 埋葬された隊士達の中には、その後、改葬された者も含めて、山南副長をはじめ、谷三十郎さん、藤堂平助さん、松原忠司さん、服部武雄さん、伊東甲子太郎など、28名にも上ります。

 ちなみに、僕は、山南敬助総長を尊敬している隊士として、先日、お墓参りをしてきました。新選組隊士のお墓参りされる方は、門の横にある勝手口から入って下さい。入場料100円です。
 線香が、一束50円です。その日、僕は、細かいお金をほとんど持っていなかったので、100円で二束かいました。その日は、あいにくの雨で、線香のところに置いてあったマッチを、持って行こうかどうか迷っていると、中からスキー帽を被った住職さんが、やってこられて、線香に火をつけてくださりました。
 住職さんは、気さくな方で、いろいろお話をしてくださりました。

 線香を持って、いざ山南総長の墓前に立つと、墓石が割れていることに気付きました・・・。
 誰かが割ったのか、災害で割れたのかはわかりませんが、悲しい気持ちになったのは、言うまでもありません(他の隊士達のお墓もお参りしましたよ)。
 
 山南さんは、あんなところで死ぬべき人じゃなかった!土方さんは、頭の回転の速い人だけども、実学や戦術にたけた人だけれど、時流を読めるのは、新選組には、あなたしか居なかった!僕には、それが悔しくてたまらない。

 僕は、今でも、そう思います。ちなみに、僕の髪型は、「土方さんヘアー」です(なんじゃそりゃ!?)。

 お墓の写真は、撮らないので、アップしません!あしからず。


新徳禅寺 [壬生]


 今日は、東山・河原町の幕末スポット巡りを楽しんできました!
 清水寺の近くまできてるのに、清水寺に行かず、三年坂にある明保野亭を見学して引き返す快感。
 たまりません・・・
 高台寺の近くまできてるのに、高台寺にいかず、ねねの道にある月眞院を見学して霊山護国神社に行く快感。
 たまりません・・・

 八木邸の近く、新徳禅寺。
 ここで、清河八郎が、十四代将軍家茂の上洛の際、京都の警備をするために浪士隊を結成した、という名目をひっくり返して、「浪士隊は、尊皇攘夷の先鋒となれ!」と演説して、幕臣の方々を怒らせた場所です。ここで、清河八郎が、こんなデリカシーのない演説をしなければ、「新選組」は、誕生してないのです!そう思うと、この寺、重要です!
 この清河八郎という人、「幕末」という物語を作った仕掛け人です。最後、佐々木只三郎さんに斬られて絶命しますが、この人がいなければ、「奇兵隊」も、「新選組」も、「白虎隊」も存在しなかったかもしれないのですから・・・。
 清河八郎は、出羽の国の人で、剣の腕もたつし(北辰一刀流免許皆伝)、頭もいいし、時流も読める人なのですが・・・。
 最初、清河八郎という人、九州や西国で、「尊皇攘夷」の思想を遊説して回り、薩摩や長州などで、その思想が受け入れられます。その後、江戸幕府で、浪士隊を作ったことで、清川八郎は、西国諸藩から、信用を失くしてしまうのですが、「尊皇攘夷」というスローガンは、しっかり根付いたのです。かたや、幕府に取り入って、浪士隊を結成するも、ここ新徳禅寺で、演説して幕府の信用を失うも、ここ壬生に残った近藤勇局長率いる新選組が生まれ、京の都を舞台に、戦いの日々が始まるのですから・・・。
 ちなみに、芹沢鴨が、清河八郎の暗殺を試みたのですが、失敗したようです・・・。
 芹沢鴨は、結構、屁たれみたいです。


前川邸 [壬生]

 
 今日は、河原町、東山界隈を歩いてました。霊山歴史館が、休館していたので、がっかりしました。2月18日まで、休館みたいです。
 リニューアルしたら、また行くつもりです。

 八木邸を道一本隔てたところに、前川邸があります。
 ここは、新選組が、会津藩お預りになった直後、ここに目をつけていた芹沢鴨に、ここの家人たちが、無理矢理追い出され、新選組隊士の宿舎になった屋敷です(芹沢、相変わらず無茶しよんな!)。前川邸は、広くて、馬とか収容できるので、芹沢の目に留まったらしいです。しかし、質の悪いジャイアンみたいな奴だ!芹沢は。
 近藤勇率いる「試衛館グループ」が、芹沢鴨、平山五郎、新見錦を暗殺してからは、近藤、土方さん達は、八木邸に移り、前川邸を屯所として使い、副長助勤以下の隊士は、ここで宿泊したようです。
 この屋敷では、芹沢派だった野口健司が、切腹しました。
 山南敬助総長が、切腹前に、恋人だった明里と、別れを惜しんだのも、この前川邸です。大河ドラマ「新選組!」の、このシーンは、涙が止まらなかった・・。鈴木砂羽さんの演技は、とても良かった!そんなに登場回数多くないのに、ものすごく印象的だった・・・。丹波地方に行くたびに、明里を思い出すのは言うまでもありません!
 あと、長州のクーデターを、未然に防いだ「池田屋騒動」も、ここで、土方歳三副長が、古高俊太郎を拷問して吐かせたのが、キッカケになりました。足の甲に、釘打ち込んで、ろうそく垂らしてはかしたらしいです(エグッ!)。内部は、非公開なんですが、そのとき古高を縛って吊るしたロープとか、まだ残ってるらしいです。見たいような、見たくないような、でも、見たいな~。
 今では、製袋会社が、前川邸を所有していて、入り口では、お土産も売ってます。
 「カバヤの新選組フィギュア」とか絵葉書とか売ってます。


八木邸 [壬生]

 今日は、暖かいけど、明日からまた寒波!
 みなさん、風邪などひかないようにして下さいね。

 壬生寺に隣接する八木邸。
 新選組が、文久2年にやって来た頃、八木邸の主は、八木源之烝さんでした。この八木さんのご先祖様は、越前の大名 朝倉義景公でした。朝倉家が、織田信長に滅ぼされて、一族が、京都の丹波地方にある八木というところに落ちのびたため、姓を八木というそうです。ですから家紋は、朝倉家と同じく「三つ木瓜」です。副長助勤たくいたの家紋は、「上り藤」です。全く関係ありませんが・・・。屋敷は、刀が振り回せないよう、天井が低く造られています。

 江戸で結成された、浪士隊は、この壬生で宿割りされるのですが、後の新選組の筆頭局長の芹沢鴨らが泊まったのが、この八木邸です。
 清川八郎が、新徳禅寺で、「浪士隊は、将軍の警護にあたるのではなく、尊皇攘夷の先鋒になること!」という激を飛ばして、幕臣たちの怒りをかい、浪士隊は、江戸に帰されるのですが、近藤勇率いる試衛館派と芹沢鴨を筆頭とする芹沢派が、この壬生に残りました。壬生浪士組(後の新選組)です。
 壬生浪士組は、当時、京都守護職だった松平容保公の会津藩に、京都の市中警護を認められ、会津藩御預りになり「新選組」になりました。
 しかし、筆頭局長の芹沢鴨が、酒を飲んで、角屋で暴れて、新選組の名で、営業停止7日間を言い渡したり、四条堀川の菱屋の妾お梅が綺麗だと、八木邸で慰みものにして、自分の妾にしたり、西陣の生糸問屋に大砲ぶっ放して、押し借りしたり(無茶しよんな~!)で、乱暴狼藉を働く為、会津藩から、「芹沢をなんとかしろ!」と近藤局長に密名が下りました。文久三年、九月十八日の土砂降りの夜、角屋でしこたま飲まされて、酔って寝ていた芹沢鴨、同衾のお梅、平山五郎と同衾の女4名が、土方歳三、沖田総司、山南敬助、原田左之助の四人に襲われ死亡しました。その部屋が、この八木邸にあります。昔は、芹沢が寝ていた部屋の天井や柱には、長い間、血飛沫が付いたままになっていたといいます。今でも、芹沢鴨が、太刀を受けて、隣の部屋へ逃げたときにつまづいた手習い机が残ってます。当時の刀傷も、この八木邸の鴨居に残ってます。生々しいです。。
 去年、来た時は、見るだけなら500円。小冊子と抹茶と御餅がついて1000円だったのですが、大河ドラマ「新選組!」も終わって、客数が見込めないとみたのか、今では、否応なしに、1000円とられます・・・。せ、せこい!先祖、大名なのに・・・。
 ま、個人客は、写真のような雰囲気のある離れで、一服できるから、ええっか!
 八木邸に訪れる際は、喉カラカラで来たほうがいいと思います。ハイ!

 八木邸と新選組には、こんなエピソードがあるらしい・・・
 この八木邸に、約2年間、お世話になった新選組も、人数が増え、この壬生屯所では、手狭になった為、西本願寺へ屯所を移すことになるのですが、そのとき土方歳三副長が、源之烝さんに、
 「長い間、お世話になりました。ほんのわずかですが、これを受け取って下さい。」
 と、お金を渡したという。それを受け取った源之烝さんが、中身を見ると、5両(当時、1両が6万円くらいらしいです)。それを見て、源之烝さん、思わず、
 「たったこれだけ?」
 と言ってしまったという。2年間、隊士達の寝食を世話して、30万じゃあねぇ・・・

 副長助勤の僕が、千円くらい払っても、文句は言えた義理じゃないか・・・・

開館時間 9:00~17:00(受付16:30まで)
拝観料 大人 1000円(餅つき、抹茶つき)
     中高生1000円(餅つき、抹茶つき)
     中高生 600円(拝観のみ)


 
 


壬生塚 [壬生]

 今日も寒い・・・。
 去年の夏は、あんだけ暑かった時は、冬なんて来るん?と思ったけど、冬になったら、冬になったで、しっかり寒くなりますな。昨日は、京都市内も、雪が積もったらしく、一昨日、二条城行っておいて、良かった!と思います。

 今日は、壬生塚です。
 壬生寺の境内に、壬生塚があります。お葬式の受付をしてそうな建物が、壬生塚です。入ると、すぐに売店があります。新選組グッズ置いてはるんですが、お薦めは、「新選組入隊許可証」500円です。やっぱり壬生寺で売っているっていうのが、価値があるんです!ちなみに、うちの隊士でも、主要メンバーは、皆持ってます。
 100円払うと、中に入れます。
 入って左手が池、正面に、100円で三橋美智也さんの「ああ、新撰組」が聴ける記念碑、右に近藤局長の胸像や近藤局長の遺髪供養塔に、芹沢鴨、平山五郎、野口健司、新見錦(田中伊織とあるので)ら、芹沢派のお墓や、河合耆三郎のお墓(河合さんの親族が建てた)などがあります。
 ちなみに、お墓の撮影はしないので、アップしません。古墳くらい古いものは、撮影するかもしれませんが・・・あしからず。
 
 しかし、ここで、三橋美智也さんの「ああ、新撰組」を聴くと、なんか涙がでそうになる。。
 そら、NHK大河ドラマ「新選組!」のテーマソングは、勢いがあって勇ましくて、いい曲やけど(ちなみに僕の携帯の着メロは、この曲です。あは)、この三橋さんの歌は、胸にしみるというか、心の奥まで、入ってくるというか、とにかくいい曲なんで、是非聴いてみてください。最初は、ちょっと恥ずかしいですが・・・。隊士の何人かは、退散して、僕一人、取り残されましたが。。。

 壬生塚
    8:30~16:30
    参拝料 100円


壬生寺 [壬生]

 今日も、京都は、寒いです。雪降ってました。。
 実は、昨日、二条城界隈を見廻りしてたんです。いい天気だったので、二条城を見学して、二の丸を出た途端、いきなり吹雪!ボアつきのGジャン着てたんですが、Gジャンだけに、風を通す!通す!
 その前、壬生界隈を巡回に行った時は、雨降って、ビショビショになったんで、本当、この辺りを見廻りするときは、天気に恵まれていません。
 先週の土曜日は、壬生寺で、壬生狂言をやってたみたいで、昨日、二条城から京都駅へ向かう途中、露天がならんでました。

 あ!読むときは、ジョン・健・ヌッツォ、テノール独唱をハミングしながら読んで頂けたら、感じでると思いますので、よろしく!
 
 壬生寺は、新選組が、調練に使っていた場所で、大砲の空砲訓練や武術の訓練していたところです。新選組の隊士が増えて、壬生屯所が手狭になって、西本願寺に屯所を移しても、毎月、4と9のつく日は、門を閉め、参拝者を閉め出して、馬の乗り入れをして(禁止されてたのに)、大砲で訓練していたらしいです。大河ドラマでは、完全に西本願寺に移ったことになっていたんですが。。。
 沖田総司さんが、子供達とこの境内で遊んだらしいです。今でも、子供達が遊んでたりしているのを見ていると、ちょっと沖田総司気分になってしまいます。
 壬生寺では、新選組が相撲興行を行ったり、寺の池の魚やスッポンを調理して、力士にふるまったりしたらしいです…(境内の生き物殺したらアカンやん…!)
 去年は、新選組の格好をしたお兄さん達が、壬生寺にいはったんですが、今でもいはるんでしょうか?

 今でも、池田屋騒動の日、七月十六日に、「新選組隊士等慰霊供養祭」が行われているらしいです。参加は自由なので、是非!


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